The Electronic Mail Game: Strategic Behavior Under "Almost Common Knowledge"
Ariel Rubinstein
The American Economic Review, Vol. 79, No. 3 (Jun., 1989), pp. 385-391
Published by: American Economic Association

http://www.jstor.org/stable/1806851

二人のプレイヤーA、Bの間でXがCommon Knowledgeであるとは、
AはXを知っている。
BはXを知っている。
Aは「BはXを知っている。」ということを知っている。
Bは「AはXを知っている。」ということを知っている。
Aは「Bは「AはXを知っている。」ということを知っている。」ということを知っている。



と言う構造が無限に成り立つこと。Knowledge Functionを使って定義すると、
あるイベントE \subset \Omega がある状態\omega \in \Omegaで、プレイヤーA、B間のCKであるとは、
\omega \in \Omega が以下の無限列の各集合の要素であることである。
K_1 (E), K_2(E), K_1(K_2(E)), K_2(K_1(E)), \cdot \cdot \cdot

この論文では、この階層が無限の場合と(十分大きいが)有限の場合で同じソリューションコンセプト(ナッシュ均衡)を用いても導かれる解が異なる例を挙げている。

二人のプレイヤーが二つのコーディネーションゲームX,Yをプレイする状況を考える。
(単純なコーディネーションゲームとしての)戦略の集合をA_i=\{T,B}とし、どちらのゲームも(T,T)と(B,B)がNEになるが、Xでは前者が、Yでは後者がパレート支配的であるとする。
どちらのゲームをプレイしているかはプレイヤー1しか知らず、Xをプレイする場合何もせず、Yをプレイする場合(1の意思とは無関係に)1から自動的に2にE-mailが送られる。各プレイヤーのパソコンはE-mailを受信すると自動的に相手にE-mailを送り返す。しかし、E-mailは小さな確率εで送っても届かない。
E-mailが届かなくなると各プレイヤーのPCに自分が送信した回数が表示される。

この論文では、
Proposition 1:実際にプレイされているコーディネーションゲームがXであるときにプレイヤー1がTをプレイするようなNEはひとつしかなく、メッセージの送信回数に無関係に常にプレイヤー1はTをプレイする
を示している。

Tが2より大きければ両方のプレイヤーがYをプレイしていることは二人とも知っているにも関わらず、(実際にプレイされているコーディネーションゲームがXであるときにプレイヤー1がTをプレイする)という成り立って欲しいと考えられる条件のもとでは知っているだけでは(B,B)がプレイされないという直感に反する例として重要なのだと思う。

比較としてコーディネーションアタックの例が論文中でも挙げられているが、コーディネーションアタックの場合ソリューションコンセプトがNEでないので、それほど直感に反するような気はしない。
http://d.hatena.ne.jp/econometrica/20090512


「Xを知っている」ということを数理的に扱おうとしたことで直感に反しているか、現実的にみんなが条件付確率をベイズルールで導いていないから直感に反しているかだと思うのだけど、どっちなのかはよくわからなかった。