おっぱいの経済学

経済学は最近は、倫理的な理由などから、金銭的な取引が禁止されている財やサ−ビスの市場設計みたいな分野でも発展してるんですよね。
よく出る例ですけど、腎臓移植の腎臓とか。
病気の家族とか恋人に腎臓を提供したいけど、適合条件が合わないような人たちっていっぱいいそうじゃないですか。かといって、タダで他人に自分の腎臓あげるのは嫌ですよね。
そういう人たちを集めて適合条件が合う人同士が、「おたくの彼氏に僕の腎臓あげるんで、あなたの腎臓僕の彼女にください」みたいな交換できたらみんなハッピーなわけですよね。
どうすればみんなよりハッピーな交換の仕組み作れるか、みたいな。アメリカのどっかでは実際経済学者の作ったメカニズムが使われてるらしいです。

万が一詳しく知りたい人がいたら、安田先生のブログ参照してください。たいして詳しく書かれてないけど。
http://blog.livedoor.jp/yagena/archives/50554552.html


でさ、市場の不完全性を克服する感じで効率的な資源配分を実現する仕組みの研究ってすっごい進んでる感があるのに、全く効率的に資源が配分されていないのがおっぱいだと思うんですよね。

世界に70億人の人がいるとして、そのうち35億人が女性だとすると、世界には70億個のおっぱいがあるわけですね。
もし、全世界を支配するような共産国家が存在したとして、自由市場を完全に否定して全人口に平等におっぱいを配ったとしても一人1個はおっぱいを配れるぐらいのおっぱいが存在しているわけですよ。

僕は、控えめに言っても全世界のトップ15%以内には入るぐらいのおっぱい好きです。
"効率的な資源配分"が実現していれば、「よりおっぱいが好きな人により多くのおっぱいを配る」っていう性質が成り立っているはずです。

背理法を使うと、「効率的な資源配分が実現していない」ことが容易に証明できます。なぜなら今僕には自由に揉めるおっぱいが配分されていないからです。

Myersonは「不完備情報のもとではどのようなメカニズムでも効率的なおっぱいの配分は不可能である」という「おっぱい不可能性」を示し、その功績が認められて2007年にノーベル賞を受賞しました。
市場経済は効率的に資源が配分できるんじゃなかったのかよ。2個とは言わない、1個でいいから揉ませてください。


経済学を学ぶものとして、これほど非効率な資源配分が行われながら、自分は無為におっぱいが揉まれる様をただ指をくわえてみているしかないなんて、無力さに打ちひしがれるよね。やっぱり市場の失敗が起こることを考えると、政府がもっと市場に介入した方がいいんじゃない?

っていう話を経済学博士課程生と話していたんですが、
「おっぱいの取引は通常2個単位でBundleされていることが問題なんじゃない?公正取引委員会が勧告して、不正なセット販売をやめさせて1個づつ取引されるようになれば問題が解決するのでは?」

っていう結論になりました。いやはや、知性のある人はやっぱり発想が違いますね。


とにかく、僕が一番言いたいことは、女性をモノのように扱うことは最低の行為なので決してしてはいけないっていうことです。